高校生の時
雑誌の付録に付いていたカレンダーを見て
父が言いました
付録は
50年カレンダーだったように思います
ーここまで僕は生きてないな
何かの拍子にその言葉を思い出すと
少し怖くなることがありました
私は生きているけど
父は生きていない、という日が来るんだ
私たちの年齢プラス50年は
人間の寿命のこちらとあちらでした
父と最後に交した言葉はまるでギャグです
「(娘の名前)来てるよ」
ーああ
それから父は考えて
ー(娘の名前)は、おとこだな
慎重に、はっきりそう言ったのです
私は
おんなだよ、と
否定するしかなく
娘は
ウケを狙っているのか!
と言ったけど
ちょうど
右と言おうとして左、と言うみたいに
真面目に間違えてしまった父
施設の職員さんが
今日は皆さん来てくれて良かったですね
そろそろおやつにしましょうか、と
車椅子を押しながら
私たちから遠ざかって行く時
ーだけど、誰だか分からんのだ
困っていた父も
ーおやつ、嬉しいです
それまでの1年間
ベッドに寝かされ、水も飲めず
何も食べさせてくれないと訴えた日々
やっと中心静脈栄養の針が外れて
医療療養病床から介護療養病床へ
そして
念願の老健施設へ入所できたのでした
1ヶ月経たず
意識不明でまた入院となりましたが
もう食べられない、起きられないと思ったのに
老健施設で職員さんに暖かく声を掛けてもらい
普通の人のように生活できた1ヶ月足らずは
私にとっても夢のような時間でした
それから1年
私たちに覚悟ができるのを待って
父は息を引き取りました
父の
小さなお葬式を執り行いましたが
それは私が知っている中で
いちばん優しい、可愛いお葬式でした